2012年03月28日
3/9研修参加
先日、OCVB(沖縄コンベンションビューロー)主催のツアーがあり、
参加してきました
中部の金武町やうるま市、沖縄市を戦後史の観点から
見つめる内容のツアーでした。
「沖縄諮詢会堂後」
一見古民家風のこの建物は
戦後初の行政機関として機能しました
三線片手に唄を歌いながら収容所を回り
戦争で疲弊した人々の心の慰めになった
沖縄の「チャップリンン」こと小那覇舞天さんのモニュメント
なんと時計台になっています
石川市立宮森小学校(現うるま市立)に昭和34年6月30日、午前10時ごろ
米軍ジェット機が墜落し、18名の児童や一般人が犠牲になる
痛ましい事故がありました。
この出来事を風化させない為に
学校の敷地内に、「平和の鐘」「仲良し地蔵の碑」が建立されています。
太平洋戦争(沖縄戦)を生き延び、
平和の世の中が訪れたと思った先の事故
後世の方へ語り継ぐ語り部に方の涙に
全ての思いが凝縮されていると思いました。
歴史を知ること、改めて重要なことだと
痛感しました。
*****************************************
☆ガイドと歩く「那覇まちま~い」☆
詳しくは⇒那覇まちま~い HP へGo!!
那覇まちま~い事務所 TEL (098)860-5780
*****************************************
参加してきました
中部の金武町やうるま市、沖縄市を戦後史の観点から
見つめる内容のツアーでした。
「沖縄諮詢会堂後」
一見古民家風のこの建物は
戦後初の行政機関として機能しました
三線片手に唄を歌いながら収容所を回り
戦争で疲弊した人々の心の慰めになった
沖縄の「チャップリンン」こと小那覇舞天さんのモニュメント
なんと時計台になっています
石川市立宮森小学校(現うるま市立)に昭和34年6月30日、午前10時ごろ
米軍ジェット機が墜落し、18名の児童や一般人が犠牲になる
痛ましい事故がありました。
この出来事を風化させない為に
学校の敷地内に、「平和の鐘」「仲良し地蔵の碑」が建立されています。
太平洋戦争(沖縄戦)を生き延び、
平和の世の中が訪れたと思った先の事故
後世の方へ語り継ぐ語り部に方の涙に
全ての思いが凝縮されていると思いました。
歴史を知ること、改めて重要なことだと
痛感しました。
*****************************************
☆ガイドと歩く「那覇まちま~い」☆
詳しくは⇒那覇まちま~い HP へGo!!
那覇まちま~い事務所 TEL (098)860-5780
*****************************************
Posted by あゆみちゃん at 10:39│Comments(0)
│那覇の外