› 地元ガイドと一緒に沖縄観光 那覇まちま〜いへめんそーれ! › 大切なことだと思う☆
2011年06月11日
大切なことだと思う☆
はいた〜い
暑い今日も頑張る
さて、
前回(4日)の続きです☆
「クガニゼークまたよし」3つの◯は家紋ですよ
7代目 又吉健次郎さんが「房指輪(ふさゆびわ)」をおしえてくれました。
これは芭蕉(ばしょう)の葉
芭蕉は当時の生活に欠かせないものでした☆育ちやすい芭蕉は原料の多いことから、芭蕉布・芭蕉紙などに使われていたんですよ実のならない芭蕉をイトバショウ(糸)と言い繊維を取って布にし、更に布にも使えない部分を紙にするんですちなみにバナナは親戚みたいなもので、実がつくのでミバショウといいます。
これは蝶↑
そしてこれが〜「房指輪(ふさゆびわ)」!↓
「芭蕉の葉、蝶、花(何の花かは不明)、扇、桃、ざくろ、魚」
全部で7つの飾りがついていて、繁栄を願うもので構成されています。
王府時代には上流階級の限られた女性のみが身につけることを許されていたそうで、礼装時に付けていたようです。今でいう結婚指輪のような役割もあったとされているようです。
そしてこちらが「結び指輪」
房指輪との明確な違いは聞きそびれましたが、男女の出逢いや絆を表す意味が込められているということです☆すてき
今でも着物の小物や中国雑貨などには「結び飾り」がついていますよね「結び」はその結び方によっって意味や名前がいくつもあるんですよ◎昔から様々な結びで花や生き物をかたどって遊んだり競ったりしていたとか
かつて王府に仕えて金・銀・真ちゅうなどを使って様々な装飾品を生み出してきた金細工職人も、王府の衰退とともにその姿を消してしまいました。しかし戦後、6代目によってその伝統がわずかに復元されたのです。それがジーファー(簪)・房指輪・結び指輪。
7代目又吉健次郎さんが私にくださった資料の中に、すてきなストーリーがあったので紹介します。
『くがにぜーくの歴史を語る多くの資料は戦災で失われてしましました。空襲で家を焼かれた時、父は金縋を3本だけ持って着の身着のまま戦火をのがれました。戦後父は様々な金属関係の仕事に就いていましたが、当時民藝運動を推進していた陶芸家の濱田庄治先生に出逢い「もう一度、琉球人に還ってくれ」という言葉で、くがにぜーくの復元を決意したそうです。その一言がどれほどの沖縄への賛美であるか、当時を思い出すたびに今でも胸があつくなります。たとえ多くを失っても、またこうして新しい芽を出すことができた。こうして蘇った伝統を伝えていくことが私の使命であり誇りにおもう。』
本当に大切なことですよね。
7代目が結び指輪の結び方を見せてくれました◎(見よう見まねで造ってしまう人もいるので、様子だけ☆伝統は正しいものを正しく伝えるものなのです☆)
特に7代目が今願うことは、琉球舞踊をされる方々に自分の造ったジーファーを身につけてほしいということでした。「本物の紅型を着てきれいな立ち振る舞いで踊っても髪を結ってるジーファーが本物でなければ完成しないと思おうおもうのだよ。」と。心からの言葉です
7代目、私がパシャパシャ写真を撮るので、しまいには「着替えてこようか?」と言ってくれましたすみません。。あまりに申し訳ないのでそれはお願いできませんでした
また次回、ジーファーを買いに伺う時に記念写真をお願いします
次週は「紙漉」乞うご期待〜
暑い今日も頑張る
さて、
前回(4日)の続きです☆
「クガニゼークまたよし」3つの◯は家紋ですよ
7代目 又吉健次郎さんが「房指輪(ふさゆびわ)」をおしえてくれました。
これは芭蕉(ばしょう)の葉
芭蕉は当時の生活に欠かせないものでした☆育ちやすい芭蕉は原料の多いことから、芭蕉布・芭蕉紙などに使われていたんですよ実のならない芭蕉をイトバショウ(糸)と言い繊維を取って布にし、更に布にも使えない部分を紙にするんですちなみにバナナは親戚みたいなもので、実がつくのでミバショウといいます。
これは蝶↑
そしてこれが〜「房指輪(ふさゆびわ)」!↓
「芭蕉の葉、蝶、花(何の花かは不明)、扇、桃、ざくろ、魚」
全部で7つの飾りがついていて、繁栄を願うもので構成されています。
王府時代には上流階級の限られた女性のみが身につけることを許されていたそうで、礼装時に付けていたようです。今でいう結婚指輪のような役割もあったとされているようです。
そしてこちらが「結び指輪」
房指輪との明確な違いは聞きそびれましたが、男女の出逢いや絆を表す意味が込められているということです☆すてき
今でも着物の小物や中国雑貨などには「結び飾り」がついていますよね「結び」はその結び方によっって意味や名前がいくつもあるんですよ◎昔から様々な結びで花や生き物をかたどって遊んだり競ったりしていたとか
かつて王府に仕えて金・銀・真ちゅうなどを使って様々な装飾品を生み出してきた金細工職人も、王府の衰退とともにその姿を消してしまいました。しかし戦後、6代目によってその伝統がわずかに復元されたのです。それがジーファー(簪)・房指輪・結び指輪。
7代目又吉健次郎さんが私にくださった資料の中に、すてきなストーリーがあったので紹介します。
『くがにぜーくの歴史を語る多くの資料は戦災で失われてしましました。空襲で家を焼かれた時、父は金縋を3本だけ持って着の身着のまま戦火をのがれました。戦後父は様々な金属関係の仕事に就いていましたが、当時民藝運動を推進していた陶芸家の濱田庄治先生に出逢い「もう一度、琉球人に還ってくれ」という言葉で、くがにぜーくの復元を決意したそうです。その一言がどれほどの沖縄への賛美であるか、当時を思い出すたびに今でも胸があつくなります。たとえ多くを失っても、またこうして新しい芽を出すことができた。こうして蘇った伝統を伝えていくことが私の使命であり誇りにおもう。』
本当に大切なことですよね。
7代目が結び指輪の結び方を見せてくれました◎(見よう見まねで造ってしまう人もいるので、様子だけ☆伝統は正しいものを正しく伝えるものなのです☆)
特に7代目が今願うことは、琉球舞踊をされる方々に自分の造ったジーファーを身につけてほしいということでした。「本物の紅型を着てきれいな立ち振る舞いで踊っても髪を結ってるジーファーが本物でなければ完成しないと思おうおもうのだよ。」と。心からの言葉です
7代目、私がパシャパシャ写真を撮るので、しまいには「着替えてこようか?」と言ってくれましたすみません。。あまりに申し訳ないのでそれはお願いできませんでした
また次回、ジーファーを買いに伺う時に記念写真をお願いします
次週は「紙漉」乞うご期待〜
Posted by あゆみちゃん at 13:38│Comments(2)
この記事へのコメント
結び指輪、ステキ☆
伝統を伝えていくのは並々ならぬものがあると思いますが、大事ですよね。
自分たちの文化。アイデンティティー。
いかに次の世代につなげていくか。
自らの役割、使命に則って動く姿はステキです。
そんな人になりたい。
(旅の案内人)
伝統を伝えていくのは並々ならぬものがあると思いますが、大事ですよね。
自分たちの文化。アイデンティティー。
いかに次の世代につなげていくか。
自らの役割、使命に則って動く姿はステキです。
そんな人になりたい。
(旅の案内人)
Posted by nahaスタッフ at 2011年06月12日 10:43
伝統は、その技術だけでは無く、気持ち“心"をも受け継いでいかなくてはいけません。継承する側も受ける側も、大変な決心が必要なんですよね。
それで生活をしていかなくてはいけない職人さんにとっては世知辛い世の中だと思うのです。
それで生活をしていかなくてはいけない職人さんにとっては世知辛い世の中だと思うのです。
Posted by きゃん at 2011年06月12日 13:30