2011年08月26日

首里赤田町☆みるくうんけー

はいたぁ~いパンダ 

さて去る8月21日(日)16:00~ 那覇市首里赤田町で『みるくうんけー』がありました。
首里赤田町☆みるくうんけー

警備の方に尋ねつつ、ミルクさんご一行を探し歩き、発見びっくり
首里赤田町☆みるくうんけー

ミルクさんに扇で頭をふわふわしてもらい、これで無病息災だ♪赤
首里赤田町☆みるくうんけー


【ミルクウンケー(弥勒御迎え)】
那覇市首里赤田町の旧暦7月16日の祭り。弥勒菩薩の化生といわれる中国唐代の禅僧布袋和尚が、七福神の一つとして京都の祭礼の行列<風流>に登場したのは室町時代といわれる。琉球では布袋をかたどった弥勒踊のことが、『おもろそうし』巻7-31にみえる。首里では300年ほど前、石川門中の祖求道長老により、赤田首里殿内に弥勒面が祀られ、7月14日にお開き、16日に門中を中心に道ジュネーがあった。赤田マチグチ(市場入口)に舞台を設け、その中央には面を安置し、まわりには<弥勒御愛子>が並び、大香炉に香をたき、東に向かって世果報、豊作、健康を祈願したのち、祭主の本家大石川の家長が面と作り物の胴をつけ、ドゥジン、袴姿で胸をはだけ、大団扇で豊作を招きながら、舞台上をしずしずと一周する。
弥勒面は戦災で焼失したが、その後復元され、行列は高張提灯(一対)持ちを先頭に、警護役、弥勒、ミルクングヮ、三味線・銅鑼・鐃鈸(にょうはち)・ガクブラ(チャルメラ)の囃し方、二才踊、村人の順に、首里殿内跡の赤田公民館を出発し、弥勒節を歌いながらマチグチに向かう。弥勒に扮する人は果報の人を選ぶ。面は頭と顔の全面を籐で編んで紙を張り、胡粉で固めたもので、黄袍をまとい、右手に団扇を持ち、左手で錫杖を突く。本土の農耕儀礼でも豊年をもたらす穀霊が弥勒と信じられ、米の菩薩の信仰もあるが、沖縄でも稲穂を菩薩花、豊年を弥勒世といい、弥勒踊は豊年踊として各地の豊年祭に登場するようになった。なお八重山諸島の弥勒面はデイゴの木で作った片面が多い。

沖縄大百科事典・沖縄タイムス社より


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Posted by あゆみちゃん at 17:27│Comments(0)首里まち
 
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