2011年05月05日
若狭の村御願に行ってきたよ~
5月3日は、旧暦の4月1日に当たります。
世間は、G・Wで賑わっておりますが…、
私たち那覇まちまーいは天手古舞いです。
嬉しい悲鳴なんですけどね。
そんなコースガイドが空きで久々の事務所付きの日に
一通のが届いていて…、そこには、
今日若狭で若狭自治会一丁目、二丁目の婦人会で『春の村御願』
があるよ~とのお知らせ。
今日は、その時の報告になりますよ。
まず、最初に御願に行ったのは、若狭小学校の裏側
にある若狭海浜公園の一画にある大きな岩の傍の御嶽
『ユーチヌ崎』で~す。
“雪の崎”とも書いたりしますが、元々はウチナ~方言“ユーチ(斧)”
何だそうです。その岬の形が斧の形状に見えたからだそうです。
昔は、この岬から旅の安全を祈願していたという場所なんだそうです。
次に来た場所は、波の上ビーチの外れ波の上宮のある崖の一画に
来ました。ここはどういった場所何でしょう?
まちまーいコースでビーチに降りた時、いつも
誰かが御願しにきているんですよね~。
お隣のおばちゃんに話を聞くと、
『ここは、竜宮に向かって御願するんだよ~』
でもね、お供え物は海に向かって並べられたかと思うと
向きを変えて頭上の洞穴にも御願しているようです。
今日の村御願を指揮している神人の方の
説明をスーギギー(盗聴)するとここは、
この洞穴は、女性の性器?子宮?を意味しているんだそう。
今日の村御願を知らしてくれた下地さんがより
詳しく話してくれると…、これは沖縄の古くからの太陽信仰なんだそう。
この波の上は、沖縄では西海岸に当たり、ビーチからは夕陽が望めます。
昔の人は、沈む太陽が女性の子宮に見立てた洞穴に入って
再生し、再び東の海から登っていくという考え方なんだって。
ちょっと、話がまた長すぎるかな…。次の説明にいきますよー。
ここは、若狭の町中に戻って以前は自動車の教習所があった跡地の
一画にある獅子屋御嶽だそうです。戦前には若狭病院があって
地元では“ケンサヤー”と呼んでいたようです。
実際に今も拝所の祠の中には獅子像が安置されていました。
これは、戦後のもので2回も変わったそうです。
次に訪れたのは、松山保育園の中にある拝所です。
実は、こちらの拝所は戦前に若狭にあったと言われている
『夷 堂』なんですよ。
びっくり~
とっくに沖縄戦で無くなっていると思ってたのに…
こんな場所でひっそり地元で守られているんだ。
これには私、感動しました。
保育園の入り口壁には、戦前の写真が架かっています。
コースで案内したいな~
ここは、近くの松山公園にある湧水での御願です。
若狭の“ユーナヌカー”と呼ばれている湧水です。
昔は、那覇の地域の井戸は全てしょっぱい塩水が混じっていた
そうでその中で唯一、ここだけが真水で甘い味がしたそうです。
ここは、『カガンヌティラ(鏡の寺)』と呼ばれる
ふつーの民家の中です。ここがどういった場所かと言うと、
ここは辻遊郭に関わりのある「海蔵院」と言われるお寺が
昔建っていて、ここも若狭の人たちは御願しているんですね。
ここは、孔子廟の中でーす。やはり、
天尊廟、天妃宮、孔子廟全て回るんですね。ハイ
ここは、護国寺の中でーす。
すいません。事務所閉館の時間が
刻々と迫って、焦ってブログに集中できません。ごめんなさい~
敢えて今日は落ちまで書きません。
明日、また改めて追加させて頂きます。読んで頂いた方
ほんとに申し訳ありません。
なんでこんなにいつも長いのかな~(反省)
世間は、G・Wで賑わっておりますが…、
私たち那覇まちまーいは天手古舞いです。
嬉しい悲鳴なんですけどね。
そんなコースガイドが空きで久々の事務所付きの日に
一通のが届いていて…、そこには、
今日若狭で若狭自治会一丁目、二丁目の婦人会で『春の村御願』
があるよ~とのお知らせ。
今日は、その時の報告になりますよ。
まず、最初に御願に行ったのは、若狭小学校の裏側
にある若狭海浜公園の一画にある大きな岩の傍の御嶽
『ユーチヌ崎』で~す。
“雪の崎”とも書いたりしますが、元々はウチナ~方言“ユーチ(斧)”
何だそうです。その岬の形が斧の形状に見えたからだそうです。
昔は、この岬から旅の安全を祈願していたという場所なんだそうです。
次に来た場所は、波の上ビーチの外れ波の上宮のある崖の一画に
来ました。ここはどういった場所何でしょう?
まちまーいコースでビーチに降りた時、いつも
誰かが御願しにきているんですよね~。
お隣のおばちゃんに話を聞くと、
『ここは、竜宮に向かって御願するんだよ~』
でもね、お供え物は海に向かって並べられたかと思うと
向きを変えて頭上の洞穴にも御願しているようです。
今日の村御願を指揮している神人の方の
説明をスーギギー(盗聴)するとここは、
この洞穴は、女性の性器?子宮?を意味しているんだそう。
今日の村御願を知らしてくれた下地さんがより
詳しく話してくれると…、これは沖縄の古くからの太陽信仰なんだそう。
この波の上は、沖縄では西海岸に当たり、ビーチからは夕陽が望めます。
昔の人は、沈む太陽が女性の子宮に見立てた洞穴に入って
再生し、再び東の海から登っていくという考え方なんだって。
ちょっと、話がまた長すぎるかな…。次の説明にいきますよー。
ここは、若狭の町中に戻って以前は自動車の教習所があった跡地の
一画にある獅子屋御嶽だそうです。戦前には若狭病院があって
地元では“ケンサヤー”と呼んでいたようです。
実際に今も拝所の祠の中には獅子像が安置されていました。
これは、戦後のもので2回も変わったそうです。
次に訪れたのは、松山保育園の中にある拝所です。
実は、こちらの拝所は戦前に若狭にあったと言われている
『夷 堂』なんですよ。
びっくり~
とっくに沖縄戦で無くなっていると思ってたのに…
こんな場所でひっそり地元で守られているんだ。
これには私、感動しました。
保育園の入り口壁には、戦前の写真が架かっています。
コースで案内したいな~
ここは、近くの松山公園にある湧水での御願です。
若狭の“ユーナヌカー”と呼ばれている湧水です。
昔は、那覇の地域の井戸は全てしょっぱい塩水が混じっていた
そうでその中で唯一、ここだけが真水で甘い味がしたそうです。
ここは、『カガンヌティラ(鏡の寺)』と呼ばれる
ふつーの民家の中です。ここがどういった場所かと言うと、
ここは辻遊郭に関わりのある「海蔵院」と言われるお寺が
昔建っていて、ここも若狭の人たちは御願しているんですね。
ここは、孔子廟の中でーす。やはり、
天尊廟、天妃宮、孔子廟全て回るんですね。ハイ
ここは、護国寺の中でーす。
すいません。事務所閉館の時間が
刻々と迫って、焦ってブログに集中できません。ごめんなさい~
敢えて今日は落ちまで書きません。
明日、また改めて追加させて頂きます。読んで頂いた方
ほんとに申し訳ありません。
なんでこんなにいつも長いのかな~(反省)
Posted by あゆみちゃん at 18:10│Comments(2)
│伝統行事
この記事へのコメント
若狭に説明の史蹟があり、町民の信仰場所家内安全・健康祈願・地域の安全御願等がある事知り勉強になりました。
近直行ってみたいです。
近直行ってみたいです。
Posted by 慶佐次興和(ケサジコウワ) at 2011年05月05日 22:35
コメントありがとうございます。
それなのに尻切れトンボのような終わり方しちゃって
ごめんなさ~い。
G・W期間中は事務所の閉館が
18時までなんです。
だったらもっと短く書けなんですけどね。
すいませんが、次回に追加させていただきます。
それなのに尻切れトンボのような終わり方しちゃって
ごめんなさ~い。
G・W期間中は事務所の閉館が
18時までなんです。
だったらもっと短く書けなんですけどね。
すいませんが、次回に追加させていただきます。
Posted by よっちゃん at 2011年05月06日 13:26