2010年07月26日
美栄橋駅周辺
今日は美栄橋駅周辺をぶらり散策。
駅前の広場に「新修美栄橋碑」が建っています。
道を急ぐ人たちは気に留めないかもしれませんが、たまにはゆっくり歩いてみるのも色々な発見があって面白いです。
生憎の曇り空であまりきれいに撮れなかったのですが、雰囲気はわかってもらえるかな・・・。
沖映通りを横切り2つ目の裏路地が「十貫瀬通り」。このあたりが長虹堤跡になります。
今は見る影もないのですが、崇元寺向けに通りを歩くと小さな長虹堤跡碑みたいなものが建っているらしいですが、いまだに見つけきれません。
新修美栄橋碑:
昔の那覇は「浮島」と呼ばれ、首里との交通の便が悪かったため、安里から松山付近までの約1kmに「長虹堤」を築きました。安里から牧志までの間にあった3つの橋の1つが美栄橋だったが、川が浅くなり、橋も狭くなったので1735年に改修した。その経緯を記したのが、この碑文です。
何故、新しく建てた記念ではなく、改修の記念碑なの? とお思いの方もいらっしゃるかと思い、少しだけ補足。昔は今と違って、機械でササッと建築物が造れるわけでもなく、橋を架けるといったら、新築はもちろん改修も大変な事業で、国家を挙げての一大プロジェクトだったからなのです。
駅前の広場に「新修美栄橋碑」が建っています。
道を急ぐ人たちは気に留めないかもしれませんが、たまにはゆっくり歩いてみるのも色々な発見があって面白いです。
生憎の曇り空であまりきれいに撮れなかったのですが、雰囲気はわかってもらえるかな・・・。
沖映通りを横切り2つ目の裏路地が「十貫瀬通り」。このあたりが長虹堤跡になります。
今は見る影もないのですが、崇元寺向けに通りを歩くと小さな長虹堤跡碑みたいなものが建っているらしいですが、いまだに見つけきれません。
新修美栄橋碑:
昔の那覇は「浮島」と呼ばれ、首里との交通の便が悪かったため、安里から松山付近までの約1kmに「長虹堤」を築きました。安里から牧志までの間にあった3つの橋の1つが美栄橋だったが、川が浅くなり、橋も狭くなったので1735年に改修した。その経緯を記したのが、この碑文です。
何故、新しく建てた記念ではなく、改修の記念碑なの? とお思いの方もいらっしゃるかと思い、少しだけ補足。昔は今と違って、機械でササッと建築物が造れるわけでもなく、橋を架けるといったら、新築はもちろん改修も大変な事業で、国家を挙げての一大プロジェクトだったからなのです。
Posted by あゆみちゃん at 17:19│Comments(0)
│那覇まち